いしだまりこのやぼう

面倒くさい思索の備忘

思い出し鬱はPTSDなのか

特別お題「今だから話せること

なんてことない会話から

今まで生きてきた人生の半分くらいを、人権を踏み躙られて過ごしてきたことを思い出し、鬱状態になってしまった。

たくさんの恨みつらみを思い出さないように、ブログにだって過去のことはあまり書かないようにしている。

だが、そこそこネタ元にしているお題は、ここのところ過去のことを書かせることが多い。そして今回何を思い出して鬱になったのかなんて「今だから話せること」になるほど消化しきれていないのだと思い知った。

今だから話せること

持ちネタとしてそこそこまずい話がいくつかあるけど。比較的マシなやつだと、祖母と同居していた「祖母の兄」が、曽祖母のツバメさんだったとかはまあまあ話せるか。戸籍的には曽祖母の養子にしたので、祖母の兄で合っているんだが。

このツバメさんは昔から「母の一族にしてはやたらいい人」だった。母方の祖母の関係者は母を含めてアレな人ばかりだったので、より性格の良さが際立っていた。ちなみに祖父は私が幼稚園の頃に亡くなっているので性格はよく分からないが、なんか横領癖があったらしい。優しかったし面白かったんだが。

祖父は置いておいて、ツバメさんは母と違ってファッションセンスが良かった。銀座三越などで展示を見ては、ミュージアムショップでお土産にアクセサリーを買って私にくれたりした。会えばいわゆる郷土の駄菓子をくれたり、お小遣いをくれたり、とかく実祖父のごとく優しくしてくれた。

動物にもとても優しく特に鳥が大好きだった。旅行に行くので文鳥を預かってもらったことがあるのだが、私と遜色ない鳥の扱いをやって見せてくれて、とても安心した。祖母だとうっかり死なせてしまいそうだったから、本当に感動した。

そんなツバメさんが実は他人だと知らされたのは、彼が認知症のために祖母から家を追い出された後のことだった。母からそれを聞かされたとき、私はなんだか色々納得してしまった。それ以上に、血の繋がらない妹の孫である私に、あれだけ優しくしてくれていたツバメさんに、心から感謝の念を抱いたのだ。

だが、私の心がわからないことに定評のある母は、やはり私の気持ちを踏み躙った。彼が亡くなった時、連絡をくれなかったのだ。当然葬儀にも行けなかったし、お墓の場所もわからない。聞き出そうにも実家の人間に関われば5分に一度はゲンナリさせられることを思うと、教えてくれと乞う気になれない。

そんなこんなで、多分20年近く経っている。今でもツバメさんに優しくされたことはよく覚えている。病気で喋れなくなったとき、筆談をお願いしたら達筆すぎて読めなかったのも、思い出して笑ってしまう。

晩年は老人施設の裏の川辺でバリケンに餌をやって楽しそうにしていたと聞いている。私も一緒にバリケンを見たかったなと、今でもたまに思うのだ。

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